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斉藤 賢爾

そのデータに命を預けることができますか?
斉藤 賢爾
慶應義塾大学SFC研究所上席所員

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データの信頼性が人命に関わる局面も出てくるわけですから、データをめぐる仕組みが、技術的にも、制度的にも安全で信頼に足るものでなくては困ります。そうでなければ、安心して自分の命を預けることはできません。
「データ・フリー・フロー・ウィズ・トラスト」というコンセプトについて、どのようにお考えですか。
「データ・フリー・フロー」という考えには基本的には賛成なんです。ただ、私が見ている範囲で言いますと、日本の企業が語る「データ・フリー・フロー」は「自社で持っているデータで儲けよう」という発想のように感じられるんですね。もちろん企業なので、利益を追求する面もあって当然なのですが、データの価値はそれだけではないと思います。「フリー・フロー」と言いながらも、実際は、データを自社の利益のためだけに抱え込んでおこう、という発想が強いように思います。
斉藤先生は、「シェアリング・イズ・ザ・ニュー・エコノミー」というようなアイデアも提唱されていますね。
情報と短期的な利益とは切り離して考えた方がいいと思うんです。データがすぐさまお金にならなくても、それを持っていることで商流をより正確に分析ができれば、ビジネスに役立つわけですし、さらに、その結果として新たなサービスやツールをほかの企業や組織に提供することで、さらにまたデータが集まるというモデルなんだと思うんです、本来は。そうでないと「ほかの企業が持っていない情報を自分たちが持っているから、それを使って有利にマーケティングしよう」といった話で終わってしまいます。
斉藤 賢爾
データは、一企業や一組織を超えてフローすることにこそ意味がある、ということですね。みなでデータを寄せ集めて、社会全体の利益のために用いる、と。
そうですね。人間の行動が生み出すデータは、非常に有用性が高いんです。たとえばクルマのワイパーの強弱をドライバーが操作しますよね。最近ではセンサーで感知してワイパーの強弱を自動で操作するクルマも増えていますが、自動化されていないワイパーをドライバーが操作した行動データを集めると、それだけで、ある場所における降雨の度合いを人間の感覚と行動をもとに測れるんですね。実際、ある地域のタクシーでそうした実験を行って、雨雲のかたちを描き出した事例もあります。行動データは、意外とも思える局面で、思わぬ利用価値があったりするものなのです。ただ、この例の場合は自動車メーカーが1社でやっていても意味がないですし、そのデータを抱え込んでいても意味はありません。データは、一種の公共財として考えるべきものでもあるかと思います。
データベースにアクセスすることができて、ある程度の訓練を受けていれば、簡単な計測と診断でを、専門家でなくてもできるようになるかもしれません。
そうやってデータを広範囲に利活用していくことで、社会はどのように変わっていくとお考えですか。データ化された社会で、AIやアルゴリズムがそれを解析し、ソリューションを提供するような社会では、人間の仕事がなくなる、なんていうことも言われています。
二つの考え方があるのではないかと思っています。一つは、おっしゃる通り、今ほど働き手が必要なくなるというものです。特に知識労働者は、全体的にそうだと思うんです。
仕事はなくなりますか。
特に事務処理のようなものについては可能性は高いと思います。ある自治体が、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の実験をやったんです。市役所の業務を自動化してみるという実験なのですが、どのくらいできたかと言いますと、90%以上自動化できたというんですね。人間にしかできない仕事だと思っていたものがそうではなかったといったことが、今後どんどん明らかになっていくことが想定されます。弁護士や医師のような専門職にしても同じようなことが起こりうると思うんですが、その一方で、面白いことも起きてくると思います。たとえば弁護士なら、弁護士の概念が広がっていくということも同時に起きていくのではないかと思っています。
どういうことでしょう?
弁護士の仕事の重要な部分として、判例を研究するということがあるかと思います。ところがそういった判例のデータベースの解析をある程度AIなりが肩代わりし補助をしてくれるのであれば、極端な話、弁護士の仕事は、六法全書を頭に叩き込んで、それを覚えこんだ者だけが資格を与えられるものではなく、むしろ、その人が元々もっている調整能力みたいなものにフォーカスが当たるようになるかも知れません。
斉藤 賢爾
つまりそれは、人間が、より人間的な作業に時間を割くことができるようになるということだと思うのですが、同時に、高度に専門化された人たちにしかアクセスできなかったデータに、広範の人がアクセスできるようになることで、そこから分散的に、その利活用の方法が見出されていくということも考えられそうです。
はい。医療も、法律家と似ているところがあるのではないかと思います。私は一昨年に大学病院の人間ドックで健康診断を受けたんです。そこで、「あなたは2年間、当院での受診にブランクがあるから、正確な診断ができない」と言われたんです。つまり、医療機関を越えて積み重なった一貫性のある継続的なデータがないことで、診断の精度が下がってしまうということなんですが、それはまさに、診察というものにおいてデータがいかに重要かを物語っています。逆にいえば、医療データベースにアクセスすることができて、必要な訓練を受け、AIのアシストがあれば、簡単な計測と診断を、より多くの人が行うことが可能になるということでもあると思うんです。
なるほど。
個人の医療データが家族にちゃんと共有され、医療に関するデータベースへのアクセスが可能になれば、たとえばおじいちゃんが急に倒れたというときに、お孫さんがテクノロジーの助けを借りながら、その危険度を測ることができるかもしれませんし、なんらかの応急的な処置すらできるようになるかもしれません。
看護師や医師が慢性的に人手不足だという状況のなかでは、そうしたソリューションは必要なものになってくるかもしれませんね。
そういう意味でもデータを正しく利活用することは重要なんです。また、アレルギーを引き起こす可能性のある食材を当事者がすぐにわかるようにする、といったこともデータの利活用としては重要ですし、すぐにでもやるべきだと思います。お店でスマートフォンをかざしたら、それだけでアレルギー食材が入っているかどうかがわかる、というような仕組みです。
データのフローであり、シェアですね。
ただ、データをやり取りすると言っても、法律の条文や判例データは、そもそもがパブリックなものですが、医療のデータはプライベートなものですから、勝手に誰でも自由にやり取りできてしまっては困ります。そこは本当に注意しないといけません。
行政が率先して、デジタル署名をきちんと使って、過去のデータが正しく保存されていることを保証する仕組みを作っていく必要があると思います。
弁護士や医師といった専門職のありようが変わるのだとすれば、その一方で企業というものも形が変わるように思うのですが、いかがでしょうか。
業務がデータ・ドリブンになっていけばいくほど、労働集約的な組織体は必要なくなるでしょうし、場所やオフィスという空間からも自由になりますから、組織はより分散的なものになっていくように思います。また、「誰かが考えた通りに、その人の手足となって動く」ような仕事の多くは、データとコンピュータによる自動化によってかなり置き換えられていくと思います。そうしたなかで、企業という組織がなにによって束ねられていくかと言えば、「ミッション」、あるいは「なりたい自分になる」といった自己実現の欲求なのではないかと思います。あるミッションを共通の目的として人が関わっていくような場所になるのではないかというイメージをもっています。極論に聞こえるかもしれませんが、企業というものは、どんどんNPOのようなものになっていくのではないでしょうか。もちろん、そうした移行はすぐには起きませんが、若い人たちが現状の企業というものに抱いている気分のなかに、そうした指向性はすでに見えはじめているようにも思えます。これからの職場でのデータの利活用のしかたは、個々人の「なりたい自分になる」という欲求を、組織がどのようにサポートできるのかという考え方をベースとしたものになっていくのではないでしょうか。
斉藤 賢爾
最後に、データのやり取りにおける安全性や信頼性をどうやってつくりだしていくべきか、という点についてお聞かせいただけたらと思います。
データの信頼性については、いくつかのレベルがあります。センサーから生成されたデータの場合であれば、その機器が正しく作動しているのかどうかという問題が、まずあります。そうした機器の信頼性を保証するための仕組みと言いますか、社会的なインフラがここでは必要になってきます。そうしたなかで、現在、センサー自体がデジタル署名の機能を持っていて、そこから出てくるデータにはセンサーの署名がついているといった仕組みが考案されています。さらに、そこにセンサー自体の信頼性を、そのセンサーを提供しているプロバイダーが保証するといった仕組みも必要になってくるのではないかと思います。一方で、人によって生み出されたデータというものがあるわけですが、とくに言葉が関与するソーシャルネットワーク上のデータの信頼性や信憑性をどう特定するのかは、とても難しい問題です。
いずれの場合においても、先生のご専門であるブロックチェーンの技術は重要になってきますね。
そうですね。たとえば、あるセンサーがハックされて、誰かがそのセンサーになりすまして偽の情報を流すようなことが起きた場合でも、ハックされる以前に取得されたセンサーデータの信頼性は保証される必要があります。過去にデジタル署名されたデータが利用可能なものとして残るといったことは、ブロックチェーンが本来もっている機能ですから、そうしたところで有用化されていくべきだと思います。過去をさかのぼっても、デジタル署名されているデータの真正性が担保できるというのはとても重要なことです。ここまで見てきたように、データの信頼性が人命に関わる局面も出てくるわけですから、そうした仕組みが、技術的にも制度的にも、安全で信頼に足るものでなくては困ります。そうでなければ、自動化されたシステムに安心して自分の命を預けることはできません。
データの信頼性をつくっていくためには、いま、どのようなイニシアチブが必要だとお考えでしょうか。
行政が率先して、デジタル署名をきちんと使って過去のデータが正しく保存されていることを保証し、開示請求があったときに、正しく保存されたものがきちんと開示されたことを市民が検証できるような仕組みを作っていく必要があると思います。データをきちんと残し、保存するための透明性の高いガバナンスの枠組みも必要でしょうし、なによりもデータの重要性をみながきちんと意識するようなマインドを持つことは、技術以前の問題として重要だと思います。
* 記事の内容は個人の見解であり、G20貿易・デジタル経済大臣会合としての公式見解を示すものではありません。
斉藤 賢爾
慶應義塾大学SFC研究所上席所員
「インターネットと社会」の研究者。日立ソフト(現 日立ソリューションズ)などにエンジニアとして勤めたのち、2000年より慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス (SFC) にてデジタル通貨、P2P およびそれらの応用に関する研究に従事。ブロックチェーンや関連技術に関する啓蒙や批評にも努める。一般社団法人ビヨンドブロックチェーン代表理事。慶應義塾大学 SFC 研究所上席所員。著書に、『ブロックチェーンの衝撃』『未来を変える通貨 ── ビットコイン改革論』『不思議の国のNEO ── 未来を変えたお金の話』など。

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